オウンドメディアのコンテンツライティングのポイントは「共感」 文章をもっと「下手」に書くこと

できるライターっていう人材が、業界に不足しています。
まあ、どの業界であっても、「できる人」は常に求められていますが・・・

で、WEBの人が、「今回は予算がある!ちゃんとした雑誌などの紙媒体に書いてるライターさんに発注しよう!」的なことがごくごくまれにあります。
なんというか、WEBライター=ちゃんとしてない 紙のライター=ちゃんとしてるっていう固定概念を、WEBのディレクターが持っている傾向にあるのが問題ですが。

で、これ、ほとんどの場合失敗します。
特にコンテンツマーケティング・オウンドメディアにおいて、紙出身のライターさんは相性が悪いです。

それは発注者やライターさん自身が、WEBと紙の文字の読まれ方の違い、そしてWEBの中でも、コンテンツマーケティングにおけるライティングになれていないからだと思ってます。

ってわけで、ボクがライターさんに発注する前に読んでもらってた文章を、ちょっとアレンジして公開します。

全体として、書き手の立ち位置をもっと読み手寄りに

これまでのライティングっていうのは、何も知らないユーザーに対して、
・「これってこうなっているんですよ」って教えてあげる
・代わりに調べてあげました
っていうスタンスでした。

けれど、似通ったサイトや文章がいくつも並ぶ中で、今までのやり方ではその記事を選んでもらえない、読み込んでもらえないのが現実。
選んでもらう、読んでもらうためには少しだけ工夫が必要で、もっと書き手が読み手寄りになる必要があります。

書き手は「教えてあげる」のではなく、あくまで読み手よりほんの少しだけ先の情報を持っている先輩であって、立ち位置としてはほぼ同等である、というスタンス。
「私(書き手)もあなた(読み手)と同じ立場の人間ですよ」という目線でのライティングが理想。なぜかというと、そうでなければ「共感」ができないので、信用ができない。

もちろん文章の内容、「何を言っているか」は重要なのだけれど、今のコンテンツメディアと呼ばれるブログであれば、特異なジャンルでない限り、内容は似通ってくる。

そもそも、情報自体にはそこまでのオリジナリティを求められてはいない。
戻るボタンをクリックして、違うページを開けば、似たような情報は見つけることができるのだから。

となると、どこで読み手が無意識に、この文章が信用できる/できないを判断しているか、というと、誰が、どんな知識を持った人が、どんな経験をしたいる人が言っているのか、という書き手の立ち位置。

これは、著者名を明かして、署名記事にしたほうが信頼される、というわけではなく、文章の書き方、文体として、より読み手の寄せる必要がある、ということ。
書き手と自分の立場に共通点が多ければ多いほど、読み手は食いついてくる。

転職メディアであるならば、書き手の立ち位置のイメージは、「転職コンサルタント」ではなく、「半年前に転職活動を実際にした経験者」の体験談がベースにあることが大事。
読み手よりひとつ上のレイヤーにいる人間ではなく、あくまで読み手と同一線上にいる人間くらいの立ち位置がベター。

WEBメディアとはワイドショーである

結局、インターネットは暇つぶしのツールであり、WEBメディアはお昼のワイドショーみたいなもの。

ニュースというのは、「〇〇という事件がありました。次のニュースです」

になるけれど、ワイドショーの場合、

司会「〇〇という事件が起きました。これについて、コメンテイターのAさんどう思いますか?」
A 「とてもいいことですね」
司会「Bさんは?」
B 「Aさんには反対なのですが、これは厳しいと思います」

という風なコメンテイターの意見が求められるわけです。

あくまで、コメンテイターであって、そのジャンルの専門家ではない、素人のわけです。
専門家のロジカルな発言よりも、主婦の代表みたいなコメンテイターの発言のほうが、信頼されたり、共感を得たりするわけです。

情報サイトも同じ。
情報をまとめたうえで、コメンテイターとして、その情報に賛成/反対の意見をすることが求めれているわけです。

受け手は、その意見に、納得したり、反論したり、こういう意見もあるのか、と受け止めるわけです。
受け手は、単なる情報(事実)が欲しいのではなく、「解釈」が欲しいだけで、もっといえば、その解釈に共感をしたいだけ。
「こういうことあるある!」とか、「そんな考え方もあるのか!」と、同じ立場で共感できる記事のほうが、WEBメディアとしては理想的と言えるわけです。

求められているのは主観的な発言であり、感情的な意見

WEBメディアは、ほとんどスマホでユーザーが片手間に、軽い気持ちで読む暇つぶしのもの。

・客観的ではなく、主観的に。
・論理的ではなく、感情的に。

ブログ記事で求められているのは、客観的な視点でもないし、論理的な正しさではなく、書きみ手の主観的な意見であり、思ったままの感情的なことば。

いわゆる職業ライター的な紙媒体やクライアントサイトであれば、極力書き手の匂いを消した、客観的で論理的な文体をよし、とする傾向にあるけれど、その逆。

飲食店の公式サイトに、「豪華なメニュー」って写真とコンテンツがあっても、食べログで、「コスパが悪い。写真にダマされた」ってコメントがあれば、そっちを信じます。

誰かの個人的なブログと、ライターの中間にあるくらいの文体、温度感。
論理的すぎても読んでもらえないし、あまりに感情的すぎても共感してもらえない。
冷静に判断した上で、「でも、そうはいってもコレってこうですよね?こう思ってしまいますよね?」くらいのバランスが理想。

まとめるだけじゃない、そこがどうだったか?

具体的にどのように情報をまとめるべきか、例を挙げると・・・

転職サイトとしてオススメなのは、この3つのサイトです。

というのは、「事実としての情報」のまとめ。

「それで、この3つサイトのうち、自分はどこに申し込めばいいの?あなたの意見は?」
というのが、ユーザーが本当に求めている情報。

転職サイトとしてオススメなのは、この3つのサイトです。

Aサイトは、〇〇な感じで使えたけど、ちょっと××な感じ。
Bサイトは、△△分野に強いので、マニアックな情報もあり。
Cサイトは、××歳以上の求人が多かったので、条件にあるなら。

のような生の意見が欲しいわけです。
オススメの根拠をユーザー目線で書くということ。

同じことを表現しているにしても、編集者目線ではなく、あくまでユーザー目線で情報をまとめることで、より信頼性に繋がるし、その先のクリックをしようと思うわけです。

素人はどんどんプロに近づくし、プロは素人に近づこうとする

WEBメディアに求められているライター力というのは、限りなく素人との境界まで近づけた文章を書けることです。
難しい表現、四字熟語や、暗喩や隠喩、偉大な人物の名言や、有名小説からの引用なんかいらないんです。

もっと簡単で、肩を張らずに、フェイスブックやインスタの友だちの投稿のような感じで、読み手が読めるくらいの隙のある文章が求められているわけです。
一言一句、熟読するわけではなく、さっと流し見をして、自分に関係がある、信用できそう、というところだけを読む。

人は権威に頭を下げるけれども、同時に権威に対しての嫌悪感を持っている。特に、インターネットという閉じられた空間の中ではその傾向が顕著。
大体、インターネットユーザーは、通り一遍の情報ならすぐ見つけられる。プロ並の情報を持っている素人も多い。

そのユーザー達を惹き付けるためには、同じ情報を持つ者同士が共感し合えるような文章を書くことが大事。

素人のような文章を書けるライターがWEBメディアにおける本当のプロ

「素人の演技は素人にはできない」、って言った演劇の演出家がいたけれど、素人を意図的に演じることは技術です。
「無意識を意識的に行う」という禅問答のようなパラドックス。

素人っぽくといって、文章をごちゃごちゃにしてしまえ、という意味ではなく、あくまで、意図的に素人的な文章を書く、ということ。

そもそも自分自身が読み手として、ウェブの文章を見るときに、どんな文章に気が留められるのか、というのを考え直すとよいかも。
プロの無味無臭のよくまとまった文章よりも、どこかの女子大生が書いたような、何気ない文章のほうが、案外求めている情報だったりするわけです。

カメラマンにも同じことがいえる

ちょっと脱線しますが、このプロと素人の境がなくなってきたのは、写真・カメラの分野でもいえます。
プロが高額な機材で撮影した商品写真よりも、素人がiphoneで撮影した商品写真のほうがウケがいい。

機材の性能があがったこと(最近のiphoneはホントきれい)もありますが、写真がキレイに撮れ過ぎていると、ウソっぽく感じてしまうわけです。
合成したり、補正したりと、画像をいじれることは、もはや誰もが知っているわけだから。

プロカメラマンの完璧な1枚よりも、あるユーザーがiphone で撮影して、インスタにあげた写真のほうが、欲しいと思わせる写真になることがよくあります。

これも、「素人はどんどんプロに近づくし、プロは素人に近づこうとする」という問題のひとつ。

まとめ

現代におけるウェブライティングに求められている文体について、まとめるとこんな感じになります。

もちろん、コンテンツマーケティング・オウンドメディアの場合であって、読まれる前提の公式サイトや、メールマガジン、ソーシャルメディアにおけるライティングは変わってきますが、そもそもライティングが、「場」を意識しないとね、っていうことは、大切なことだと思いますが、はい。